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7月17日(日) 宮城県東松島市 赤井地区の畑に堆積したヘドロの撤去作業 |
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7月17日(日) 宮城県東松島市 ボランティア活動ミーティング |
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6月19日(日) 宮城県東松島市 ボランティア活動ミーティング |
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6月19日(日) 宮城県東松島市 ボランティア活動ミーティング |
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6月12日(日) 宮城県東松島市 ボランティア活動ミーティング |
辺りは水位が高いため中へ入ることができませんでした。
この冠水の影響なのか、この地区はガレキの撤去が進んでおらず、津波の惨状がそのままの姿で残っていました。
ガレキの山をよく見ると、金属と木材などが分別されてました。
住宅地へ打ち上げられた船はとても大きく、移動するにも、解体するにも、一筋縄ではいかないのでしょうか。大きな船まで打ち上げてしまう津波の威力は、私たちの想像をはるかに超えています。
宮城県名取市「下増田小学校」
震災から101日目となった6月19日(日)。ここ宮城県名取市下増田小学校では、仙台空港の隣で海沿いに位置する北釜地区の「名取市北釜地区合同葬儀・告別式」が行われました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110615-00000005-khk-l04
震災にて亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げますとともに、ご遺族に心よりお悔やみ申し上げます。
(A)石巻市「石巻駅」周辺
何度か石巻駅周辺には視察に来ておりますが、震災から3ヶ月を迎えた現在でも周辺の信号機は点灯しておりませんでした。私たちが視察をした時間帯は早朝だったため、車両や人通りもほとんどありませんでしたが、日中や夜間は交通事故などの危険が考えられます。今後、石巻市内へ行かれる方は十分運転には注意しましょう。
(B)石巻市「石ノ森漫画館」
旧北上川の中洲に位置する「石ノ森漫画館」。水位が高い大潮や雨天の日は危険性があるため、立ち寄ることがありませんでしたが、天気も良く、川の水位が低かったので立ち寄りました。立て掛けられた看板には、津波で流された写真を預かっているという内容が書いてあります。
地震と津波によって倒壊したレストラン。1階部分が押しつぶされており、海から河口を遡ってきた津波の威力が相当なものだと感じました。
(C)石巻市「湊小学校」
私たちが活動拠点としている「東松島市赤井地区」では、住民の方の避難所生活が終わり、以前のように自宅での生活を送れるようになりましたが、この「石巻市湊地区」は未だに避難所生活をしております。小学校の校舎の窓越しに避難所生活をしている被災者の生活風景が見られました。まだまだ多くの人たちが、避難所生活をされている現状を見て、「自分たちに今やれることは何なのか?」ということを考えさせられました。
(D)石巻市「石巻漁港」周辺
先日、ニュースでも取り上げられておりましたが、津波により食品加工会社の冷蔵倉庫が破壊され、その腐敗した魚類や加工品の分別作業を行ったと思われる形跡がありました。
http://www.asahi.com/national/update/
0604/TKY201106040151.html
周辺は腐敗臭が充満しており、大量のウミネコが周囲を埋め尽くしておりました。
天候や風向きによっては、数キロ先まで腐敗臭が広がるようです。
(A)石巻市魚町「白謙蒲鉾店魚町工場」周辺
石巻漁港周辺には多くの水産加工工場が点在しています。この周辺は海が目の前という立地のため、特に大潮の日は冠水が激しいようです。これも地震によって地盤が沈下し、海水の水位が上昇したことが考えられます。宮城県の特産品の一つとして親しまれている「笹かまぼこ」が広く世に伝わり、地元企業が一日も早く復興することを願っています。
(B)石巻市魚町「石油コンビナート」周辺
周囲を見渡すと石油の貯蔵タンクが立ち並んでおりましたが、操業を停止しているのか、ひっそりとした雰囲気で人影も見られませんでした。この近辺は石油の匂いが充満しており、陸に上がった海水も石油を含んでいました。津波発生後、ニュースでも報道されましたが、この近辺は二次災害として火災が発生しており、地震と津波の脅威を考えさせられました。
(C)石巻市「門脇小学校」
毎週、この「門脇小学校」を視察しておりますが、「今後、門脇小学校はどう復興するのか?」と考えてしまいます。小学校周辺は徐々にガレキが撤去されてきてはいるものの、小学校そのものは機能していない状況です。一日も早く児童たちが小学校に帰って来れる様に、私たちも何らかの形で協力をしていきたいと考えております。
未だに周辺の民家は津波の影響で冠水していました。復旧作業にはまだまだ時間が掛かりそうです。
(E)石巻市「門脇小学校」
津波の影響により火災が発生した小学校は、見るも無残な姿となりました。毎週のように門脇小学校周辺に足を運んでますが、津波発生時を想像すると胸が痛まれます。
道路に転がっている「鯨大和煮」と書かれた大型タンク。日常では起こりえないことが、現地では起きているこの光景に恐怖を感じます。
石ノ森章太郎さんは石巻市出身の有名漫画家で、石巻市街地各所には石ノ森章太郎さんのモニュメント(作品)が立ち並んでおります。
(H)石巻市「石巻漁港周辺」
石巻漁港に無残にも打ち上げられた漁船らしき大型船。「地震が発生する前は活気のある漁港だった」と周辺住民の方がおっしゃっていました。DCT一同、一日も早く以前の活気ある漁港へ復興できるよう、切に願っております。
無残な姿をしたトラックが被害の凄惨さを物語っています。
震災から約70日経った野蒜地区。
野蒜小学校を視察したが、この地区は海岸から1㎞くらいの所にあるにもかかわらず津波が2.5m~3mはあったように見える。
付近の住民もほとんどが全壊半壊の状態で70日経った今も被害は痛ましい。
DCTがボランティア活動を続けている赤井地区よりも状況が全く違うことに驚かされた。
雨の中、現地の住民や建設会社がガレキの除去作業を行っていた。
また、2か月以上たった今も復興の見通しが全くたたないせいか少し殺気立ってる様にも見えた。
1日も早く復興する事をお祈りします。
震災から2ヶ月以上絶ったが、石巻工業港周辺ではガレキの山が沢山あり、復興への道のりはまだ遠い。 たが、津波で打ち上げられた巨大タンカーや沈没船などを回収するためのサルベーシ船がいた。
一方、東松島市赤井地区体育館では、我々他、ボランティア活動の成果もあってか、震災後250人近くいた被災者も5月15日には避難所の封鎖で、ようやく自宅に帰れるまでになったが、ほとんどの住宅は1階まで浸水しており2階でなんとか生活ができるようになった。
東日本大震災から約2カ月経過した5月8日の石巻市門脇地区の様子。
大型連休もあったせいか、石巻市立門脇小学校の前に積まれてあった大量のガレキの山は、きれいに撤去されていた。
しかし、大潮の影響なのか、海からの海水が住宅街に流れ込み復興作業の妨げになっている。
AM6:00 知人を探しに来ているという人に会って話を伺うと、発生直後から週末になると神奈川県から捜索に来ているが、未だその知人との連絡は取れていないという。
5月5日のこどもの日を祝う”こいのぼり”こいのぼりの奥にある石巻市立病院は何度もテレビで報道され、屋上で”SOS”助けを求める姿は、今でも頭の中に焼き付いている。
赤井地区体育館の隣にある南区新町地区センターには、昨年白アリ予防など、建物に手をかけたがヘドロの影響で取り壊す事が決まっている。
この辺りの地域は地震や津波の被害よりヘドロによる被害の方が大きい。
この赤井地区体育館も震災直後 津波の影響で体育館の中は、床上浸水50cm。
区長さんをはじめ大勢の人が何度も掃除をして、やっとヘドロなどの臭いが取れたと言う。二回目の津波警報が出た時は、お年寄りなどを体育館の2階のわずかなスペースに避難させ、足が不自由で二回まで上がる事の出来ないお年寄りなどは、卓球台を並べてその上に避難させたと言う。
私も同じように上がってみましたが、健常な私が大変でしたので足腰の弱いお年寄りは、さぞかし大変だったものと思います。
赤井地区の区長さんの話では、この小さな体育館に震災直後250人位の被災者がいたと言う。
災害発生当時、避難所からケガ人等を病院に搬送する手段として、区長さんらが机を何枚かに重ねた物に大きな浮きを付けて、救命ボートの代用にして多くの人を搬送したと言う。
また、この地区にはお年寄りが多く、瓦礫やヘドロの撤去などの作業が思う様に進んでいない。物資よりボランティアなどの人手が必要になっている。
未曾有の大震災は多くの人々から多くのものを奪い去った。赤井地区の皆さんから聞こえて来たのは、力強い生命力と復興への切なる思いでした。
4月24現在での大船渡市の人的被害状況
・死者:296人
・行方不明者:196人
・避難者:2828人
ご冥福をお祈りします。
やはり、他の被災地同様に沿岸部は壊滅状態。
国道45号線より海側はほぼ壊滅、悲惨な状態です。国道45号沿線のガソリンスタンドでは建物が半壊状態にも関わらず営業を開始していました。
大船渡南小学校では、仮設住宅や水道復旧の工事始まっており、避難所の方々も支援物資などの整理など、ボランティアスタッフと一緒になって頑張っていました。
一日も早き復興をお祈りします。
4月17現在での岩手県内の被害状況
・死者3974人
・行方不明者4005人
ご冥福をお祈りします。
陸前高田市内でテレビでは伝えきれない悲惨な現状を目の当たりにして、津波の驚異と人間の弱さを改めて知らされました。
言葉になりません・・・・。
被災現場を見れば、きっと今後の「人生観」が変わるはず。
真剣に考えさせられる異様な光景が、辺り一面に広がっていました。
心から一日も早い復興をお祈りしております。
米崎保育園では、被災した地域の園児や児童の一時受け入れをしている。
午後からは米崎保育園で専門家や医療スタッフが子供たちのメンタル面を考える大会が開かれる。
東日本大震災の影響で、子供を含めた被災住民や長期ボランティアなどの人達への「心のケア」が最優先で必要になってくると感じました。
岩手県陸前高田市の成田山金剛寺で17日、「陸前高田さくら祭り」が開催され、被災者らが宴を楽しんでいました。
4月17日現在での気仙沼市内の被害状況
・死者:769人
・行方不明者:1215人
・避難者数:6196人
ご冥福をお祈りします。
気仙沼市沿岸部のほとんどが瓦礫の山となり、沿岸部にあった住宅などは一瞬のうちに跡形もなく消え去ってしまった。
写真の郵便局は海岸から20Mの位置にある。
東松島市役所から災害通行手形を発行して頂きました。
各自治体により対応は異なるというが、東松島市ではNPOの様な支援ボランティア車両に対して、往復の高速道路料金が無料になる通行証を発行している。
この様な制度がもっと広く活用され、高速道路料金だけでも無料になれば、その浮いたお金で支援物資を購入する事もできるし、経済的理由で現地での支援活動を躊躇している人達などにとっては、支援の幅が広がって良いのでは? 何より週末だけでは無く、平日の支援活動も活発になるのではないかと思います。
実際、我々も自費が多いので大変助かります。(笑)ありがとうございます。
高萩市では家屋の倒壊で数名の死亡者が出ている。避難者は150人位長期に渡る避難生活のせいか避難者側の感謝の気持ちも薄れてきており、行政との間で些細なトラブルも後を絶たないと言う。
高萩市総合福祉センターでは「避難者の皆様に・・お客様ではないので自分で・・・・」などの張り紙もしてあった。・ ・が私から言わせて貰うと行政側の対応にも問題がある。実際、うどん炊き出しの連絡が避難者に届いていなかったし、高萩市の災害相談窓口で猛抗議をしていた女性の話では、「被災直後、全国各地から集まった物資が山のようにある中、支給される食料はおにぎり1個とお茶のみで隠れて見に行ったら行政側が知り合いに裏から物資を配っていた。」と言う。
これまでに訪問した避難所と比較すると、ここ中央台南小学校には支援物資が豊富にあり、避難所によっては 物資の偏りが見えた。
ただ「頑張れ茨城」などと書かれた支援物資もあり、支援物資の配分も混乱しているようだ。
避難所スタッフの話では 「ここに物資はあります。ですが、多くの避難者は先行きに不安を感じていて、避難生活の疲れもピークに来ています。心のケアが一番必要です。」と語ってくれました。 全国から心温まる支援物資 オールジャパンで支援しよう!
南国 徳之島からの支援物資
同市は死者・行方不明者が約6000人以上の大きな被害を受けた。
ライフラインもいまだ復旧しておらず、約6万戸のうち、水道が復旧したのは約2万2700戸。停電は約3万3000戸で現在も続いている。
さらに、満潮になるとヘドロが道路にあふれる地域もあり、市民は二重苦を強いられている。
我々が訪問した宮城県東松島市赤井市民センターの所長さんの話では、「1ヶ月経過した今は、この避難所から仕事や自宅の片付けに出かけているが、片づけるのに使う ゴム手袋・長靴などの掃除用品などが不足している。」と言う。
次の写真は合同遺体埋葬地。2年後には棺桶を土中から掘り出し、火葬場で火葬する事になる。
陸前高田市から避難してきたと言う人から「あなた達がいるから 私達は生きている」と声を掛けて頂きました。
頑張って下さいと。エールを送りに来たのに・・・・・。
別の避難者は、ここにいても 意味がないから 心配だから 福島の自宅に帰る準備をしている人もいました。